3月11日

標準

あの日も寒い日でした
東日本大震災から5年・・・。
もう5年 まだ5年

あの時私は、テニスサークルの打ち合わせ兼ランチに
近くのレストランで、仲間と楽しいおしゃべりに夢中でした
16号近くですので、大きなトラックが通れば少し振動も感じます
なぜか先にゴーッと地鳴りの様な音を真っ先に耳にしました
次に大きな揺れで、地震だ!!と皆さんと部屋から
広いホールに飛び出してテーブルの下に潜り込みました
お皿やコップがガシャーンと割れる音が凄くて
お店の方も怖いと泣きだすし、私も怖くて早くおさめてと
やっぱり神様に祈ってました
落ち着いたのを見計らって、店の外に出て
車のテレビで情報を確認したら、岩手の方で地震と分かりました
そんな尋常ない何時でも、お支払いをした友達は
やっぱり日本人って律儀って変に感心しました

急いで家に帰ると、長女は期末試験中で
家にいましたので顔を見て安心し
次女は中学校にいますので、大丈夫と思ってるうちに
どんどん余震があるし、家の玄関を開けっぱなし
我が家の一番の財産のテレビを下におろして
テレビからの情報を見ながら、余震の度に外に飛び出るの繰り返し
甚大な津波が町を襲ってるニュースを見て
鹿島にいる主人はどうしているのか心配になって
メールや電話をしても繋がらないので
もしかしたら・・・と思ってたところ
ひょっこり帰ってきた姿を見てビックリ
ちょうど休みで帰って来てる途中に地震にあった様で
運転中に急にタイヤをとられておかしいなと思い
路側帯に止まって様子を見ていたそうです
お父さん大丈夫かな!!?どうしようっと思ったところだったので
みんなキツネにつままれたように、ポカ~ンとした記憶があります
でもすぐに会社が津波で大変な状態でしたので
心配しながらもトンボ帰りをする主人を送りだしました

それからは余震に怯えながら、過ごした日々
幸いライフラインは大丈夫でしたので
日々の暮らしには不便はありませんでしたが
ガソリンやスーパーからは物資が無くなり
何を買うにでも行列が出来ました
なぜだかガソリンが無くなると思って
すぐに車に満タンに給油しておいたので、それは本当に助かりました
どんどん時間が経つにつれて、周りからは震災の記憶が薄れて
何事も無かったように電気やガスを平気で使い
普通の暮らしに戻っています
今日はニュースで震災当時の映像や
犠牲になった方の話が流されます
自然災害は予測することが出来ませんし
回避することも難しいです
震災の記憶をしっかり心に留めて
自分自身が出来る最低限の準備をしていきたいと思います
備えあれば憂いなし
これにつきますね

こんな経験は一度で充分
まだまだ進んでない震災からの復興を願いながら

今日一日を終わります

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